4月末に日本に帰国し、連休明けから仕事を開始してから丁度2ヶ月が経過。日本での生活にもすっかり慣れて違和感はほぼ消え、シリコンバレーでの日常を思い出す頻度も数日に一度程度に減衰して、そろそろやや思い出になりつつある。
仕事は、今後数ヶ月のスパンで自分が何にどういう優先順位で取り組むべきかという点を中心にほぼ固まり、無理めの目標設定も次第に見えて来て、大分エンジンがかかって来た。周囲の自分に対する認識も自己認識と摺り合って来て摩擦がほぼなくなり、過ごしやすくなって来た。いい感じで時間が無くなり、そろそろパンクし始めて充実した日々。悪くない。
日本での仕事生活にエンジンがかかり始めるにつれ、逆に4年半の期間シリコンバレーにいた効用を随所に感じるようになって来た。まずは言葉の問題。日本帰国後、電話会議等で米国企業と英語で話す際に言葉の壁が無いという直接的なメリットもさることながら、通常日本語で仕事をしている時に「日本語でそのまま仕事が出来る」メリットを感じる。
母国語が日本語である身でシリコンバレーで英語で仕事をしていた際は、英語に基本的に不自由しないとはいえ、たとえば投資先の取締役会等での英語での議論がヒートアップして各位のしゃべる速度が無茶苦茶速くなり、且つ会話がかぶってChaos状態になって来るとFollowが難しくなる場面もあった。普段の仕事の場面でも、時にはやはりミリ秒単位で思考と発言の遅延発生は否めなかった。一方、日本にいると全部日本語。英語生活でのミリ秒のハンデが無くなり、あらゆる場面でワンクッション多くの時間考えながら喋るゆとりが生まれる。ある意味、4年半の間「大リーグ養成ギブス」をはめて生活していたのが、突然ギブスが外されて解き放たれた感じ。会話の最中、張本ばりにボールの縫い目が見えると言ったら言い過ぎか。
もう1つあるのは、楽観的な思考体系。シリコンバレーには、Yahoo、GoogleとMSのサーチエンジン競争をテーマに皆が議論している中で、平気でゼロからサーチエンジンのベンチャーを起こす無謀な(失礼!)人々が大量にいた。シリコンバレーには基本的に楽観主義が溢れ、究極的には「いまさら感」という概念が希薄に思える。日本で新規事業の企画を考える際に、事業予定Spaceに大手の既存企業がいることを取って「今さら参入しても・・」と入り口で否定的に入る議論は日常の風景。そんな否定的な議論を聞きながら、喩えばSand Hill RoadのVCに詰めている知己あるEIRがビジネスプランを書くとしたらどう考えるだろう、と思考を巡らせる。現在の市場に大手がひしめいているのであれば、これから起業しようとしている案件の対象市場が3~5年後にどう変質しているかを考える。仮にそこに大きな地殻変動の芽や潜在的な顧客のPainを見出せるのであれば、ターゲットを足元の市場ではなく将来の市場に置くという「Moving Target狙い」の目線で事業を考えることで、雌雄が決したかに見える市場に新たなSpaceが見えて来る。栄枯盛衰。あらゆる市場や競争環境は変化して行く。そして、その変化の方向性に何らかの仮説を導入して、そこに一点集中で賭ける計画を立てる。いずれもシリコンバレーでは日常の風景である。
日本での仕事環境に慣れて来るに連れて、逆にシリコンバレーを意識する場面が増えて来た。改めて、良い経験をさせて貰ったな、、と思いを新たにする。
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