先月末のことになるが、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊のわずか1ヶ月後の同年12月15日に当時の東ベルリンで行われた第九のコンサートがClassica Japanで放送していた。(第四楽章が4分割してYouTubeにUpされていたので以下掲示)
指揮は最晩年のバーンスタイン。東西ドイツ、ロシア、米国のArtistが集った第九の演奏、歌詞が本来Freude(喜び)と歌うところが意図的にFreiheit(自由)に変えてある。ベルリンの壁崩壊直後という時代背景やバーンスタインの気合とあいまって、第四楽章の歓喜の爆発が冷戦終了と東側諸国のおおいなる開放の号砲に聞こえる。
演奏を眺めながら、いつしか思考は過去20年間の推移に移る。
東西冷戦終結を祝っていたのは過去のこと。ソ連邦が解体し、長らく封印されていた民族問題が、チェチェン、グルジア、アゼルバイジャン等で顕在化した。ロシアはその後、市場経済への混沌の移行期間を経て次第に資源・エネルギー大国として覇権主義的な色彩を帯びるに至る。ロシアには共産主義イデオロギーとは全く別の次元で、大国としての覇権主義的野心が元々内在しているのではないかとふと思う。
ベルリンの壁崩壊後、ドイツは再統一を果たし、旧東欧諸国は民主化・市場経済導入を実現し、経済的にも政治的にも、相次いで西側陣営に接近して行った。過去20年、東欧新興国として欧州各国からの潤沢な投資をバネに相応に発展を遂げたが、今般の金融危機で各国への期待感は急速に萎むことになる。一方、アジアの新興国は97年のアジア通貨危機で外資の急激な資金引き揚げに見舞われたが、その後経済の地力をつけて資金供給超過に至り、中国・日本と共に米国へのFinanceを続けて今般の金融危機の遠因を形成するまでに至った。アジア諸国と比較して、東欧の旧共産圏経済の脆弱性が浮かび上がる。
ロシア・東欧からよりScopeを広げると、ベルリンの壁崩壊後、冷戦終結の平和の配当を享受していた世界にイスラム原理主義の棘が刺さり、加えて世界中の資金余剰が米国の過剰消費を支えて経済を回していた構図が金融危機と共に瓦解した様が見えて来る。そして、過去20年間で2兆ドルの外貨準備を溜め込みながらも元の対ドルレートをほぼ固定し続けた中国が、ある意味壮大な近隣窮乏化政策を経て経済の中心に踊り出る。インドやブラジル等の新興国と共に存在感を強め、世界はいよいよ本格的な多極化への入り口に到達する。
今思えば、この20年間は東西冷戦によって二極化された世界から、米国独り勝ちの状況を経て最終的に多極化へとエントロピーを増大させる過程であったと捉えることが出来よう。共産主義の失敗は資本主義の成功を必ずしも意味せず、且つソ連という最大の敵を消滅せしめた米国のGameのRuleは経済面でも政治面でも環境面でも、いずれも持続不可能であることを露呈した今、多極化した世界で普遍的に通用する思想というかGameのRuleやその拠り所を何処に求めれば良いのだろうか。Corporate Governanceはどうあるべきか、G8や国連安保理に代わる多国間の意見調整や意思決定の場はどう設計すべきか、ドル一極に代わる基軸通貨体制のあり姿は、そして持続可能な社会をどう構築して行くか、課題は多い。
「世の中の枠組みが大きく変動する場に居合わせている」という実感を持ちつつも、一方で「あるべき姿を描き切れていない」という現状に直面している我々は、メタレベルでは1989年12月に東ベルリンでのコンサートに集った人々と近い存在ではないかとふと思い至る。とりあえず、20年前の観客と同様に、新たな世界に対する漠然とした期待感を胸にバーンスタインの情熱的な第九に身を委ねることにする。
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